あたしよ。7年目の3・11が過ぎたわ。
あたしよ。
愛され月うさぎの
おっぽこ一番よ。
みなさん、
関東~東北のみなさん。
あの東日本大震災から
7年が過ぎたわよ。
我がシモベ、ぷれ吉の住む
神奈川県では、もう何事も
なかったかのように
人々が生活しているわ。
それはそれで良き事なんだろうけど
自然災害はいつ起こるか分からない。
これだけ科学や文明が発展しても
本当に正確な予知なんて
まだまだ出来ないのが現実。
くれぐれも、予期せぬ事態の為の
備蓄と心構えと
助け合いの心。
それらを決して
忘れてしまわないようにね。
今あらためて
震災で亡くなられた方々へ
ご冥福をお祈り申し上げます。
実はね、あたし
あの3.11の日の前の晩に
急に食欲がなくなって
お腹が痛くなって。
生まれて初めてうっ滞になったの。
夜が明けた頃にはもう
死んじゃうんじゃないかって
本気で思ったわ。
あの夜ずっとあたしを
心配していたぷれ吉が
泣きべそをかきながら
ネットで調べていたわ。
あいつ、うさぎのうっ滞
初めてだったからそりゃもう
酷い有様だったわね。
うさぎを診察できる動物病院を
夜通し探して、電話かけて
3軒目の病院があたしを
診てくれることになったわ。
それからずっと、そこが
あたしのかかりつけ病院だったわね。
病院へ到着した頃にはもう
あたしはかなり危険な状態。
完全にテンパってるぷれ吉を
先生がキツく叱ったのを
意識朦朧の中で聞いたわ。
低体温で点滴を刺す血管が見当たらず
仕方なく耳の血管に刺したわね。
あたしはそのまま、入院になったわ。
あたしを病院に預けて帰宅したぷれ吉、
たまたま社用車で自宅近くまで来ていた
パパさんと一緒に、犬のポテと散歩して
気分を紛らわせてから自宅マンションへ。
まだ心そこにあらず状態のままで
ポテと一緒にリビングでTV付けて
ぼんやりしていたのよ。
あの時、金八先生の再放送やってたのよね。
そしたら、足元が大きく立てに揺れて。
昨夜一睡もしていないから
立ち眩みかと思ったら、そこから
ほんの少しの間があいて
大きな横揺れが始まったのよ。
「緊急速報ならNHK」
って認識だから、チャンネルを
NHKに合わせたら、国会中継の途中でさ。
議事堂でも激しく揺れてるみたいで
だけど、その場面が映ってすぐに
停電になってTVが消えたわ。
ぷれ吉はポテを抱きしめながら
テーブルの下に潜り込んで怯えてたわね。
ぷれ吉が言うに、すごく
長く感じたってさ。
実際に長い揺れだったもんね。
あたしがいた病院でも揺れたわよ。
幸いにも自家発電があったからか
治療が止まることはなかったわ。
そして更に運よく
パパさんが車で病院の近くまで
来ていたのよ。
だから、ぷれ吉の代わりに
パパさんが面会に来てくれたの。
あたしパパさん大好きだから
それについてはラッキーだと思ったわ。
ただね、朝の時点で
あたしの体調不良を
あまり心配していなかったから
罰として飛びチッコ
ぶっかけてやったわ。
たぶん、パパさんが
面会に来てくれたからかもね。
あたしはわりとすぐに回復したわ。
流動食を口にして、それから
すぐに自力で食事もとれるようになったの。
だから入院は一日で終わり、
家に帰って、それからしばらく
お薬と流動食生活だったわ。
余震の度にぷれ吉と
ポテがビクビクしてウザかったわ。
面白かったのは、檸檬が
まったく動じていなかったことよ。
さっき、それについて
訊ねてみたら、
「地震?そんなのあったか??」
ですってよ。
やっぱりすごいわ。
あの世でも気が合わないわ(笑)
なんてね。
たしかに気が合わないけど
それはそれで楽しくやってるわ。
まぁね、あたしたちには
あたしたちの3.11があったわ。
人間たち一人ひとりに
それぞれの3.11があるようにね。
それでは、また月曜日に会いましょう。
被災地が本当の意味での
復興を成すその日が
一日も早く訪れますよう
月うさぎたちも祈っています。
愛され月うさぎの
おっぽこ一番でした~。
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